「人を愛さなければいけない」のか?問題。
「家族神話」
「親子神話」
で、息苦しくなっていませんか?
➖家族は、感謝しなければいけない存在。
➖子どもは、愛すべき存在。
・・・みたいなやつです。
これはまるで常識や道徳のように感じて生きている人がほとんど。
で、ある一方で、
実は、
➖家族に心から感謝できない。
➖子どもを心から愛することができない。
こういう方も、かなり多いのです。
さて、これは、罪でしょうか?
いいえ、理由があるのです。
その一例を3つご紹介します。
①愛される実感がとても少ない環境で育った。
②誰かを愛することで起こる感情の波、を恐れる自分を守るため、
自己防衛が働き、人に無関心になっている。
③今現在、衣食住や健康、経済的な安定が乏しく、心に余裕が無い状態。
「愛すること」「心から感謝すること」
って、実はすごくフワッとしていて、
コレ!っていう感覚、言葉にすること、難しいですよね。
愛さなければいけない、
感謝しなければいけない。
そうじゃなく、一度、
「愛せない私」「感謝できない私」をあるがままに受け入れてみると良いです。
「〜でなければいけない」という神話は、
神話であって、リアルでは無いから。
あるがままの自分の感情を感じられて、
それから初めて、「愛とか感謝」が芽生えたとしたら、
それでいいのだと思います。
時に、児童虐待の原因ともなる、「愛情の欠如」。
それにもどこかに理由があるんだよ。って場合、とても多いのです。
とはいえ、
児童虐待が起きても理由があるのだから、仕方がないので許してあげて、
というお話では全く無いのですが、
「愛情の欠如」を背負い、戸惑いを抱く方々には、
個々の育った背景や、現状に対する原因・理由を共に見つめ、
「私」の感情を取り戻していってほしい。
というのが、カウンセラーとしての私の想いです😊
例えば、
子どもやパートナーに対して、バイオレンスな関わりをしてしまう方にとって、
「ひとりで思い悩む」ということは、自己嫌悪や罪悪感の負のループへの入口となり、
問題がヒートアップしてしまう恐れがあるからです。
バイオレンスまでいかずとも、
単純に、「人を想えない」ということが、
知らず知らずのうちに、生きづらさに発展することも往々にしてあります。
ちなみに私もかつては、親への愛情や感謝が感じられないサイドの人間でした。
ついでに、「そんな自分が非情だ」と感じ、
無理して愛そうとか、感謝しようとしていました。
最早、「感謝とか愛」は、努力して行うもの、になっていました。
でも、そうすればするほど、それができなくなる。
さらに、親のみならず、自分自身をも忌み嫌うような感覚に。
っていう負のループに。
だからね、
一度、諦めたんです。
「頑張って、親と自分を愛そうとすること」を。
それから数年かけて、ふと気付いたのです。
父や母、そして自分への感情、
延いては愛情や感謝が湧いてくるようになった自分に。
ただ、結果的に湧いてこなくても別にいいと思います。
それにはそれ相応の理由があるはずで、
その理由のほとんどか全ては、本人のせいでは無いですから。
兎にも角にも、
ゆっくりペースではありますが、自分の感情と向き合う「時間」が必要です。
愛は、一人ひとりのペースで、時間をかけて発見するもの。
それでいい。と、私は思います。