「正義」とは。
古美門研介
(ドラマ『リーガルハイ』第4話より)
この台詞が出てくるには、前後の詳しいやり取りがありますので、併せてご紹介します。
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古美門(堺雅人):「キミが正義とか抜かしているのは上から目線の同情にすぎない。その都度目の前の可哀想な人間を憐れんでいるだけだ」
黛(新垣結衣):「でも・・・だったら・・・それを否定したら正義はどこにあるんですか!?」
古美門:「神でもない我々にそんなことがわかるはずもない。正義は特撮ヒーローものと少年ジャンプの中にしかないものと思え。自らの依頼人の利益のためだけに全力を尽くして戦う。我々弁護士にできるのはそれだけであり、それ以上のことをするべきでもない。わかったか朝ドラ!」
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いかがでしたしょうか😊
今回の言葉では、「正義」。これがキーワードかと感じます。
ここまでの内容は、公式LINEでも配信させて頂きました💡
さて、
正義というもの、つまり「正しさ」という概念は、人それぞれ、そして一人ひとりのルーツにある家庭、国や文化、宗教観等々によって、おおいに多角的な違いがあるものです。
とはいえ、「何が善で、悪か。」その価値観や概念は、倫理的に物事を考える、感じる際に必要不可欠でもあります。
しかし、実際に現実を生きているまさに、今。も、
正しさという名の倫理観と、現実に起こる様々な事象の間で葛藤する。これもまた、自然なことだと私は感じます。
人間関係や仕事の上などで、様々なトラブルや葛藤を感じる時。
私たちはおのずと、自分の中で培われた「正義」が第一声を発することでしょう。
ただ、その「正義」は、万人・万事にも通用することではありません。
そのことを、常に頭と胸のどこか隅っこにでも置いておくことで、
人や、仕事、様々な問題に直面するときに微力ながらにでも、役立つようにも感じます。
私にとっての正しさは、相手にとって、もしかしたらそうではないのかもしれない。
逆に、私にとっての悪とは、も、然り。
…と言った具合に。
人は皆、自分の信じる道。言い換えると「信念」に実直に生きているものです。
その信念が無いと、人の道も、外すことにもなり得ます。
ですから、「正しいかどうか」ではなく、
「私にとっての信念とは、なんなのか?」
悩んだ時、葛藤した時こそ、自分の信念が試されているように感じる、今日この頃です。
…と、いうのも、これまた、あくまで私個人の価値観から出てくる言葉です。
ですので、
解釈も、その有無も、
人それぞれでOK!
大切なのは、数多くある言葉を、自分なりにどう咀嚼し、自分の頭で考え、心で感じるかです😊💡
それでは皆さま、
本日もご一緒に…
「ゆるゆると」過ごしましょう🌸