「いのちのべんきょう。」〜セミ編〜
学童の帰り道のこと。
「ママ、セミがひっくりかえってる!どうしよう!?」
という電話が。
ー 何を助ければいいのだ!?
と、3秒ぐらい考えましたが、
恐らく、
セミ、ひっくり返ってる!ピンチ!
でも初めて見るからパニック!
…てな感じなのだろうな、と。
とはいえ、
私は大の虫嫌い、
想像するのも苦手です。
しかしここは一肌脱ぐしかない、
という思いで、セミをイメージ。
脚は閉じてるか?開いてるか?
と質問しました。
娘の答えは、「びみょうに、ひらいてる。」
うむ。多分、昇天しかけている時だ。
ということが分かったので、
多分セミさん、もうすぐ死んじゃうから、
せめて踏まれないところに置いてあげて、帰っておいで。
と、アドバイスし、通話終了。
(※セミの生死の見分け方も付け加えて伝えました)
帰宅後、娘から聞いた話では、
一緒にいたお友達とふたり、
セミさんを、団地の垣根の日陰にそっと置いて、
完全に脚が閉じたか確認するまで看取り、
土に埋めてあげたそうです。
命が絶えるその瞬間まで、見守ってきたこと。
暑くないよう、日陰に置いてやる思いやり。
しかも土に還るよう、埋葬まで。
私はそこまで教えてはいないのに、
命の最期を慈しむ心が、子どもたちにあることに驚きつつ、
なんだか誇らしくも、
温かい感情と、初心を教えてもらえた、
そんな夏の夕刻だったのでした。
子どもにとっては特に、
命の最期、に接する身近な機会が少ない現代です。
とはいえ、今この瞬間も、
どこかで何者かの命が絶え、
そして、新たな命が生まれています。
命の尊さとは、
その命が、
何を成し遂げた者か、でもなく。
褒め称えられた経験があるかどうか、でもなく。
ただ、命を燃やし切ったか。
という、その最期に現れるのかもしれない。
そう、感じることがあります。
食物連鎖の中で、命のバトンを渡す動物。
命を以って、土を耕すことを課された虫。
志半ばで、事故や病、災害などで亡くなる人間。
命の最期は、どんな生き物にとっても様々で、
時に、残酷です。
しかし、それを見つめることは、
「生きていること」を見つめること。
と、表裏一体でもあったりします。
自分が生まれてきた意味。
そんなの、正直答えは無い、と私は思っていますが、
人間はどうしても、
「自分の命の意味や理由」を問い、悩むきらいがあります。
あまり悩み過ぎると、ちょっと厄介です。
なぜなら、それに対する確固たる答えなど、無いからです。
例えば、
セミからしたら、人間の人生の意味など、恐らくどうでも良いのです。
人間からしても、セミの命に関心がある者の方が少ない気がします。
しかしたまに、
互いの命や存在に無関心であろう生き物同士が出会い、
命の尊さを教え、教わる関係性になることも。
それが娘にとって、この夏のひと時にありました。
命は、その大きさでも、重さでも、見た目でも、大義名分でもなく、
言葉にできない、何か大切な言葉を、
特に、「意味を考えがちな」私たち人間に教えようとしてくれる、
最初で最後の先生なのかもしれないな。
…と、やはり私も人間なので、
なんらかの意味を感じ取ろうとしてしまうのでした。
そうそう💡
セミは、脚が開いていたらまだ生きていて、
閉じていたら死んでいます。
それは私が小学生の頃に、
誰だか覚えていないけれど、
どこかの大人に教わった記憶があったので、
今回、20数年経って初めていかせた豆知識でした。
目下、夏も本番中の本番。
コロナ禍でなかなかアクティブにはいかないですが、
身近にある、ささやかな幸せなり、ほっこりを探す夏🍹🍉✨
に、できたら嬉しいと思います😊
それでは皆様、どうぞ、心は、ゆるゆると🍀
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